軽率でした。
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1998年発売で”液晶玩具”の象徴的存在。
デジモンペンデュラム。
当時の子供がハマりにハマった「たまごっちの男の子版」ゲームです。
この1998年発売の「デジモンペンデュラム」は、実は初代ではなくて、「デジタルモンスター(1997)」の進化版として発売されたもので、歩数計のように振り子が内蔵されているのが最大の特徴で、ペンデュラムをシャカシャカ振って、育成したり、バトルしたりするというのがこのゲームのメインシステム。またデジモンが「究極体」に進化出来るようになったのもここからだったようです。
進化には「通常進化」と「ジョグレス進化」があって、育て方やバトルの回数など様々な条件が絡み合って、特定のデジモンに進化していきます。
最高位は前述の通り「究極体」ですが、育てていけば必ず成れるかといったらそうではなくて、育て方が悪いと、成長が止まってしまったり、途中で死んでしまったりします。
これが相当難しくて、当時小学校入りたてかそこらの自分では、途中で諦めてしまっていたせいか、ほとんど、自分のデジモンが究極体になった姿を見た記憶がございません。
しかし、
今の私は25歳。
いい大人です。
今の自分ならデジモンを立派な究極体へと育てあげることが出来るのではないか、そう思った次第です。
そこで新しく電池を買ってきて、
入れて、
起動してみて、
そしてしばらく、デジモンのお世話をしてみたわけですが、
しかし、
私はとんだ馬鹿者でした。
軽々しくデジモンペンデュラムを起動しては、
【デジモンペンデュラム】大人になった今なら簡単に究極体へ進化させられるのか?
なんてくだらない記事を考えていた自分が恥ずかしい。
今感じるのは「育てる」ことの大変さ。
卵から孵ったあの瞬間、心に芽生えるはその責任の重さ。
俺に、
この俺に、
デジモンを立派に育て上げるだけの、”責任をもつ勇気”があるのだろうか?
軽々しく、
遊び半分で、
電池を
入れては
フリフリ
フリフリ。
それで楽しいのか?
それで満足なのか?
これはもう遊びなんかじゃない。
遊び半分でなんてやって欲しくない。
もはや遊びという域を脱してしまったのだ。
生まれてくるデジモンの気持ちを、
おまえは一度でも考えたことがあるのか?
当時はそうなことなど考えもせずに、
ただただ浮かれ、遊んでいた。
今ではそんな過去が、
ただひたすらに、
恥ずかしい。
今の俺にはそんな、
そんな、
そんな責任は重すぎる。
あいつを立派に育て上げる、
自信も、
勇気も、
俺にはない。
目の前で自分を求めて泣く、愛くるしい幼年期のデジモン。
無理だ。
俺はまだ、
デジモンを育てるには若すぎる。
今の俺には・・・。
5分に1回はピーピーと泣く、デジモンを育て上げるだけの時間の余裕とその勇気が、今の私には、ありませんでした。
大人とは何なのでしょう?
進化とは何なのでしょう?
究極体とは何なのでしょう?
私には分かりません。
かくして私はデジタルワールドから、
たった半日で帰ってきたのでした。
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